『私が見た未来』の漫画はうそで作者は嘘つき?真偽を確かめる検証ステップ

「『私が見た未来』という漫画が、本当に未来を予言しているのか、それとも巧妙に作られたうそなのか、気になっていませんか。

ネット上では「作者は嘘つきだ」という声もあり、何が真実か分からず混乱してしまいますよね。この記事では、なぜこの漫画がうそや嘘つきと言われるのか、その真相をあなた自身が判断できるよう、私が実際に行った具体的な検証ステップを交えながら徹底的に解説します。

この記事を読み終える頃には、氾濫する情報に惑わされず、自分なりの答えを見つけられるようになっているはずです。

目次

結論から解説『私が見た未来』がうそや嘘つきと疑われる最大の理由

多くの人が『私が見た未来』の信憑性に疑問を抱いています。

なぜこの漫画は「うそ」「嘘つき」といった厳しい言葉と共に語られるのでしょうか。まずは結論として、その疑惑が生まれる最も大きな原因と、それに対する私の個人的な見解からお話しします。

この点を押さえることで、これからの議論がより深く理解できるはずです。

完全版の出版が『私が見た未来』のうそ疑惑を加速させたという事実

私がこの漫画に関する情報を集める中で最も大きな転換点だと感じたのは、2021年に出版された『私が見た未来 完全版』の存在です。

オリジナルの漫画は1999年に出版されており、長らく絶版状態で「幻の予言漫画」として知る人ぞ知る存在でした。しかし、東日本大震災を予言したとされる表紙の噂がネットで拡散し、復刻を望む声が高まったのです。

その結果出版された完全版ですが、ここに追加された新たな予言や詳細な解説が「後付けではないか」という決定的な疑念を生み、うそや嘘つきという批判の主な原因となっています。実際に、旧版にはなかった作者の夢日記の内容や、予言に対する詳細な解釈が大量に加えられており、これを純粋な復刻と見るか、後から起きた出来事に合わせて作られた創作と見るかで評価が真っ二つに分かれているのが現状です。

作者たつき諒氏が長年沈黙していたことが嘘つきという印象を強めた可能性

作者であるたつき諒氏は、1999年のオリジナル版出版後、漫画家を引退し、長らく公の場に姿を見せませんでした。

その沈黙の期間が約22年にも及んだため、完全版の出版にあたって突然現れたことに対し、「本当に本人なのか」「話題性に便乗した商業目的の嘘つきではないか」といった疑いの声が上がりました。

私自身も、なぜこのタイミングで、という疑問を率直に抱きました。メディアへの露出が極端に少なかったことも、作者の人物像を謎に包み、結果として一部の人々に「正体不明の嘘つき」というレッテルを貼らせる一因になったのではないかと分析しています。

漫画の予言解釈が人によって異なりうそか真実かの判断が難しい問題

『私が見た未来』の予言は、非常に抽象的な表現で描かれているものが多くあります。

例えば、有名な「大災害は2011年3月」という予言も、完全版で明かされた夢日記によるもので、元の漫画に直接的にその日付が描かれていたわけではありません。

そのため、後から起きた東日本大震災に当てはめて「的中した」と解釈することも、逆に「こじつけだ」「後付けだ」と批判することも可能です。このように、解釈の幅が非常に広いことが、この漫画がうそなのか、それとも真実なのかという終わらない論争を生み出している根本的な問題だと私は考えています。

検証の前に知るべき予言漫画『私が見た未来』の基本的な情報

真偽を正しく判断するためには、まず対象について正確に知る必要があります。

ここでは、伝説の予言漫画として知られる『私が見た未来』がどのような作品なのか、その基本的な情報と、特に話題になっている予言の内容について、客観的な事実を整理していきましょう。

この基礎知識が、うそかどうかの判断基準となります。

本書の基本情報

  • タイトル:私が見た未来
  • 作者:たつき諒
  • オリジナル版発売日:1999年8月
  • 完全版発売日:2021年10月
  • ジャンル:ホラー漫画、予言、オカルト

1999年に出版されたオリジナル版と2021年の完全版という二つの漫画

『私が見た未来』には、大きく分けて二つのバージョンが存在することをまず理解してください。

一つは1999年に朝日ソノラマから出版されたオリジナル版です。これは複数の読み切り作品を収録した短編集であり、『私が見た未来』はその中の一編に過ぎませんでした。

そしてもう一つが、2021年に飛鳥新社から出版された『私が見た未来 完全版』です。こちらはオリジナル版の復刻に加え、作者が長年記録してきた「夢日記」の解説新たな予言が大幅に加筆されています。

ネット上で「うそだ」と言われている点の多くは、この完全版で追加された部分に向けられていることを理解しておくことが、検証の第一歩です。

世間を震撼させた東日本大震災やフレディマーキュリーに関する予言

この漫画が注目されるきっかけとなった最も有名な予言は、やはり東日本大震災でしょう。

オリジナル版の表紙に「大災害は2011年3月」と書かれていた、という噂が広まりましたが、これは後から広まった都市伝説であり、完全な誤情報です。

実際の表紙にはそのような記述はありません。完全版で明かされたのは、作者が1999年時点でその日付を予知夢として見て、夢日記に記録していた、という事実です。

また、伝説のロックバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーが亡くなることを予知した夢も、的中事例としてよく挙げられます。

これから起こるとされる富士山噴火や南海トラフ地震に関する新たな予言

完全版では、過去の的中事例だけでなく、これから起こるかもしれない未来の出来事についても具体的に言及されています。

特に多くの人が注目し、不安を感じているのが、富士山の噴火

南海トラフに関連するとされる巨大地震の予言です。これらの予言は具体的な日付と共に示唆されており、人々の不安を煽ると同時に、その信憑性について大きな議論を呼んでいます。

これらの未来に関する予言が、この漫画を単なる過去の的中事例集ではなく、現在進行形の予言書として位置づけているのです。

私が実践した『私が見た未来』はうそか嘘つきかを見抜く検証ステップ

情報が溢れる中で、何が真実かを見抜くのは至難の業です。

そこで、私が実際に試した「『私が見た未来』の真偽を確かめるための具体的な検証ステップ」をご紹介します。

この手順に沿って情報を整理することで、あなたも噂に流されず、自分自身の目でうそか真実かを見極めることができるようになります。

ステップ1:一次情報である漫画本体を入手し自分の目で内容を確認する

最初のステップとして最も重要なのは、噂やネットの解説記事を読む前に、一次情報である漫画本体を読むことです。

私はまず、近所の書店で『私が見た未来 完全版』を購入し、先入観を持たずに一通り読み込みました。次に、絶版となっているオリジナル版を探すため、中古市場を調査しました。

幸運にもオンライン書店の「日本の古本屋」というサイトで旧版を見つけ、購入することができました。この二つを自分の目で直接読み比べることで、どこが追加され、どのように表現が変わったのかを客観的に確認でき、ネット上の不正確な情報に惑わされることがなくなりました。

ステップ2:肯定派と否定派両方の意見を偏りなく収集し論点を整理する

次に、世の中の意見を幅広く収集します。

このとき、自分が信じたい意見ばかり集めないように注意することが肝心です。私は、X(旧Twitter)やYahoo!知恵袋、個人のブログなど、様々なプラットフォームで検索を行いました。

「私が見た未来 うそ」「私が見た未来 考察」「私が見た未来 こじつけ」といったキーワードで検索し、肯定的な意見と否定的な意見の両方をノートに書き出して、それぞれの主張の根拠がどこにあるのかを客観的に整理しました。この作業によって、感情的な批判と論理的な指摘を区別できるようになり、議論の全体像を冷静に把握することができました。

ステップ3:主張の根拠となっている情報源の信頼性を一つずつチェックする

集めた情報の裏付けを取る作業が最後のステップであり、情報リテラシーが最も問われる部分です。

例えば、「旧版の表紙に災害の日付が書いてあった」という主張があれば、実際に旧版の表紙画像を探して自分の目で確認します。また、「作者は偽物だ」という主張があれば、完全版の出版元である飛鳥新社の公式サイトや、当時行われたインタビュー記事などを探し、出版経緯に不審な点がないかを確認します。

このように、一つ一つの主張に対して「その根拠は何か?」「情報源は信頼できるか?」と問いかけ、ファクトチェックを徹底することで、デマやうそを見抜く精度が格段に上がります。

なぜ多くの人がこの漫画をうそだと断定するのかその心理的背景

『私が見た未来』に対して、なぜこれほどまでに「うそだ」「嘘つきだ」と強く反発する人々がいるのでしょうか。

その背景には、単なる事実の検証だけでは説明できない、人間の心理的な働きが関係していると私は考えています。

ここでは、その心理的メカニズムについて掘り下げてみます。

確証バイアスによってうそだと思いたい人が否定的な情報ばかり集める現象

人間には、自分の信じたいことや仮説を支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視したり軽視したりする「確証バイアス」という心理的な傾向があります。

これは、物事を判断する際に誰もが陥りやすい思考の罠です。一度「この漫画はうそに違いない」と考えてしまうと、無意識のうちに否定的な意見や証拠ばかりが目につき、肯定的な情報は「どうせ信者の戯言だ」と切り捨ててしまいがちです。

私自身も検証中、否定的な意見に心が傾いたとき、肯定的な意見を読むのが億劫に感じたことがあり、このバイアスの強力さを実感しました。

未知の恐怖に対する防衛本能が予言をうそだと否定させる心理

富士山噴火や巨大地震といった予言は、人々に強烈な不安や恐怖を与えます。

この耐え難い恐怖から心を守るために、「そんなことは起こるはずがない」「これはただのうそだ」と予言そのものを否定してしまうのは、自然な心理的防衛機制の一つです。

これは「正常性バイアス」とも関連しており、自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりする心の働きです。予言を嘘つきの戯言だと切り捨てることで、未来への不安から一時的に逃れ、心の平穏を保とうとするわけです。

商業的な成功に対する嫉妬や反感が作者を嘘つきだと攻撃させる動機

『私が見た未来 完全版』は累計発行部数100万部を超えるベストセラーとなり、商業的に大きな成功を収めました。

この成功に対して、「人の不幸や不安を煽ってお金儲けをしている」といった反感や嫉妬を抱く人が現れるのも、また事実です。

こうした感情が、「作者は金目当ての嘘つきだ」という攻撃的な言説につながることがあります。作品の内容そのものの正当な評価とは別に、商業的な成功という側面が、批判的な意見を増幅させる一因となっていることは否定できないでしょう。

漫画『私が見た未来』は本当にうそ?的中したとされる予言の客観的検証

この漫画の信憑性を語る上で避けて通れないのが、過去に的中したとされる予言の数々です。

ここでは、特に有名な事例を取り上げ、それが本当に予言と呼べるものなのか、それとも後付けの解釈に過ぎないのかを、できるだけ客観的な視点で検証してみたいと思います。

うそか真実かの判断材料にしてください。

ダイアナ妃の死に関する予知夢は本当に漫画で描かれていたのか

作中では、英国のプリンセスが亡くなるという夢を見たという記述があります。

これがダイアナ妃の事故を予言したものだとされています。私がオリジナル版と完全版を比較したところ、この記述は確かに両方に存在しました。

しかし、夢を見た日付が1992年8月31日とされており、ダイアナ妃が亡くなった1997年8月31日とはちょうど5年のずれがあります。日付の一致という点では非常に不思議ですが、年が異なるため、これを完全な的中と断定するには少し弱いと感じました。

漫画の表紙が東日本大震災を示唆していたという噂の真実

先にも述べましたが、「オリジナル版の表紙に『大災害は2011年3月』と書かれていた」という噂は、完全なデマです。

これはネット上で自然発生的に拡散された不正確な情報であり、紛れもないうそです。私が所有している旧版の表紙にも、ネットで確認できる数多くの画像にも、そのような記述は一切ありません。

ただし、完全版において、作者が1999年の時点でその日付を記録した夢日記を公開したことは事実です。この夢日記の存在そのものを信じるかどうかが、この予言の評価の分かれ目となります。

予言ではなく偶然やこじつけと判断できる事例も少なくないという事実

多くの予言を検証していくと、中にはこじつけや偶然の一致としか思えないものも含まれていると感じました。

例えば、非常に曖昧な表現で描かれた夢が、後から起きた特定の事件に都合よく結びつけられているケースです。これは「バルナム効果」という心理現象に似ており、誰にでも当てはまりそうな曖昧な記述を、自分にだけ当てはまる特別なことだと信じ込んでしまう心理です。

すべての予言を鵜呑みにするのではなく、一つ一つの事例を冷静に見て、その具体性や信憑性を吟味する姿勢が、この漫画と付き合う上では不可欠だと感じています。

作者たつき諒氏は嘘つきなのかその人物像から見えるもの

作品がうそかどうかの議論は、しばしば作者が嘘つきかどうかの人格批判に発展します。

しかし、作品と作者を同一視するのは早計かもしれません。ここでは、限られた情報の中から、作者であるたつき諒氏がどのような人物なのかを考察し、嘘つきという評価が妥当なのかを考えてみたいと思います。

漫画家を引退しスピリチュアルな世界から距離を置いていたという経歴

たつき諒氏は、オリジナル版の出版後に漫画家を引退し、スピリチュアルな能力を持つことによる様々な苦悩から、その世界とは距離を置いて静かに暮らしていたと完全版の中で語っています。

もし金銭目的の嘘つきであれば、話題になった後も活動を続けたり、もっと早くに復刻版を出したりしたのではないでしょうか。20年以上も沈黙を守っていたという事実は、むしろ商業主義的な動機とは相容れないように私には感じられました。

完全版の印税を寄付しているという事実から見える作者の意図

完全版のあとがきには、この本の印税の一部を寄付することが明記されています。

実際に、出版元である飛鳥新社のウェブサイトでは、日本赤十字社への寄付が行われたことが公式に報告されています。この行動は、「人々の不安を煽って儲けているだけの嘘つきだ」という批判に対する一つの具体的な答えと言えるでしょう。

もちろん、これを偽善と捉える見方も可能ですが、少なくとも利益だけを追求しているわけではない、という作者の姿勢を示す客観的な事実だと評価できます。

メディア露出を避け続ける姿勢は嘘つきではなく誠実さの表れか

完全版がベストセラーになった後も、たつき諒氏はテレビなどのメディアへの顔出しを固辞し続けています。

もし注目を浴びたいだけの承認欲求の強い人物であれば、積極的にメディアに露出し、自身の能力をアピールするはずです。そうしないのは、いたずらに人々の不安を煽りたくない、静かに事実を伝えたいという誠実な思いの表れではないでしょうか。

目立つことを避けるその姿勢は、私には「嘘つき」という言葉とは程遠いものに映ります。

『私が見た未来』の漫画がうそか真実かよりも重要なこと

私たちはこれまで、この漫画がうそか真実か、作者は嘘つきか、という二元論で物事を考えてきました。

しかし、検証を進めるうちに、私はその白黒をつけること自体が本質ではないのかもしれない、と感じるようになりました。

この漫画が私たちに投げかける、もっと重要なメッセージについて考えてみましょう。

予言の真偽を議論するよりも防災意識を高めるきっかけとして活用する

この漫画の予言が的中するかどうかを延々と議論するよりも、これをきっかけに自分や家族の防災意識を高めることの方が、よほど建設的です。

私は『私が見た未来』を読んだ後、すぐに行動に移しました。

私が実際に行った防災アクション

  • 自宅の防災グッズの点検と補充
  • ハザードマップで自宅や職場の危険度を再確認
  • 家族との避難場所や連絡方法の共有
  • 非常食や飲料水の賞味期限チェックと買い替え

予言がうそであろうと真実であろうと、私たちの防災意識を喚起してくれたという一点において、この漫画には大きな価値があったと断言できます。

エンターテイメントとして楽しむ都市伝説やミステリーとしての魅力

すべての予言を深刻に受け止め、不安に思う必要はありません。

うそか真実か分からないミステリーとして、あるいは壮大な都市伝説として、この漫画を楽しむという見方もあります。私は友人と「この予言はこういう意味じゃないか」「いや、それはこじつけだろう」と語り合うことで、知的な謎解きゲームのようにこの作品を楽しみました。

「信じるか信じないかはあなた次第」というスタンスで向き合うことで、不必要な不安を感じることなく、作品の持つミステリアスな魅力を純粋に味わうことができます。

情報リテラシーを鍛えるための最高の教材として漫画を活用する視点

『私が見た未来』ほど、情報リテラシー、つまり情報を正しく見極める能力を鍛えるのに適した教材はないかもしれません。

うそやデマ、肯定的な意見、否定的な意見が入り乱れる中で、何が客観的な事実で、何が個人の感想や憶測なのかを仕分ける実践的な訓練になります。

私はこの漫画の検証を通して、情報源を確認する癖がつき、ネット上の情報を鵜呑みにすることの危険性を改めて学びました。この経験は、他の様々な情報を判断する上でも非常に役立つスキルになっています。

まとめ 漫画『私が見た未来』はうそか嘘つきか最終的な結論

さて、長い検証の旅もこれで終わりです。

様々な角度から『私が見た未来』という漫画と、それにまつわる「うそ」「嘘つき」という評価について考察してきました。

最後に、この記事全体のまとめとして、私なりの最終的な結論と、あなたがこれからどう向き合っていくべきかのヒントをお伝えします。

漫画の予言がうそか真実かを100パーセント断定することは不可能

結論として、この漫画の予言が完全にうそであるとも、完全に真実であるとも、100パーセント断定することは誰にもできません。

後付けと疑われる点や、こじつけと見える部分があるのは事実です。しかし同時に、偶然では説明が難しい不思議な一致や、作者の誠実さを感じさせる側面も存在します。

真実は、白か黒かではなく、その中間のグレーゾーンに存在しているのかもしれません。大切なのは、断定できないという事実そのものを受け入れることだと私は思います。

作者が嘘つきだという断定は客観的な事実からは難しいという見解

作者のたつき諒氏が「嘘つき」だという評価については、私は懐疑的です。

長期間の沈黙や印税の寄付、メディア露出を避ける姿勢といった行動を見る限り、金銭や名声だけを目的とした人物だとは考えにくいからです。

もちろん、私たちは作者のすべてを知ることはできません。しかし、現在公開されている客観的な情報だけを基に判断するならば、「嘘つき」と断定することは非常に難しい、というのが私の正直な感想です。

最終的には自分自身の判断軸で漫画『私が見た未来』と向き合うべき

この記事では、私が実践した検証ステップや様々な情報をご紹介してきましたが、最終的にこの漫画をどう捉えるかは、あなた自身が決めることです。

この記事を参考に、ぜひご自身の目で漫画を読み、情報を吟味し、深く考えてみてください。

誰かの意見に流されるのではなく、あなた自身の判断軸で結論を出すこと。それこそが、情報が氾濫する現代を生き抜く上で最も重要なスキルなのです。

この漫画が、そのための素晴らしいきっかけとなることを願っています。

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